ねねと高台寺

ねね庵のネーミングの元となった、ねね縁の高台寺がスグ近くにあります。 果たして、ねね、とは、どんな女性だったんでしょうか? 秀吉の正室 ねね、は、秀吉と同じ尾張国の生まれ。織田信長の家来だった豊臣秀吉(木下藤吉郎)に嫁ぎます。恋愛結婚だったとか。ねねの実家は士分なのに秀吉の実家は農民で、反対に遭ったとか。相手の社会的地位に関係なく、その男自体を見る。これ、あげまんの条件ですね。 子どもは出来ず、秀吉と自身の親戚の子供を養子にしたり、家来にして育てました。あげまんは、母性が強いのです。 内助の功を遺憾なく発揮し、秀吉が天下人となった後も、諸大名及び朝廷との関係において、見事な調整能力を発揮しました。あげまんは、マネジメント能力に長けているのです。 秀吉が亡くなると、京都新城にうつり、秀吉の菩提を弔いました。関ケ原後も生き、1605年に家康の後援で、京都東山にお寺を作りました。それが、高台寺なのです。

高台寺について

京都の中でも人気の東山界隈に位置佇む高台寺。ねねは、秀吉が亡くなった後、秀吉を想って自寺:圓徳院から菩提寺:高台寺へ、毎日通ったんです。それが、ねねの道です。 高台寺の名前は、ねねが出家した後、後陽成天皇より賜った高台院の院号から。 高台寺境内は、広々としており、尼寺らしく優雅な印象を受けます。建立の後ろ盾には、徳川家康の資金を援助があったと伝えられています。家康の政治的思惑が絡んでいたそうです。 ねねの人柄を慕う武将が多くあって、彼らは関ヶ原後の停戦交渉等政治的なフォローをしていました。そんな、武将のバックにある彼女を丁重にに扱わないと、江戸幕府も安泰とはいかないんで、家康が畏れたんでしょうか。

高台寺のイベント

日時をチェックしないといけないんですが、お茶会・写経・座線などの体験も、料金追加で出来ます。

高台寺 佇まいに見られるねねの秀吉への心

高台寺で一際目立つのは、国の史跡・名勝にも指定された、見事な庭園です。高台寺の魅力の1つです、 桃山時代の著名な名作庭家:小堀遠州こぼりえんしゅうの手になるもの。遠州の石組・配置には定評がありました。 また、この高台寺の庭園は、秀吉の派手好みが生かされ、安土桃山時代の豪華絢爛な庭なのです。 東の池が臥龍池、西の池が偃月池で、これを中心として造られた池泉回遊式庭園は、高台寺創建当時の400年前と変わらない姿をとどめています。 秀吉を天下人にした、あげまん:ねねが愛でていた光景を、同じ様に眺められるのは感慨深いですね。 ねねが秀吉を偲んで立った観月台 開山堂と北書院を結ぶ回廊が楼船廊です。そして、この回廊の中間の、三方に唐破風の屋根のある建物を観月台と呼びます。なんと観月台は、秀吉の豪華絢爛だったと伝わる伏見城の遺構なんですよ。これを、ここで見られるとは。また、この様に境内のいたる場所に、秀吉の伏見城の遺構が存在。ねねの秀吉への、変わらぬ想いを見て取れます。

開山堂

庭園を見渡していると、回廊の奥に、お堂が見えます。高台寺第一世の住持: 三江紹益禅師を祀るお堂です。 その三江紹益禅師と一緒に、ねねの兄:木下家定の像も安置されてあります。なんと、天井は秀吉が使った御船に加え、ねねの御所車の木材が用いられていて、二人が永遠に一緒でいる願いを感じます。 方丈庭園 方丈前庭も見事です。枯山水の庭園で、あの京都のお寺特有の砂盛があります。桜の季節は、枝垂れ桜が映えます。 お霊屋 開山堂の東です。秀吉とねねが祀られています。秀吉とねねの木像があって、本当に仲の良い夫婦だったんだなあ、と、感じられます。お堂の中には、安土桃山時代を代表する華麗な狩野永徳の絵があって、お像と相まってタイムスリップしたかのような錯覚に襲われます。

傘亭・時雨亭

その奥には、これまた伏見城から移築した傘亭・時雨亭の茶室が見られます。 宝形造の傘亭は、傘を広げた様に見えるゆえ、傘亭の名称が。また、入母屋造の高堂は、傘亭の名から時雨亭と呼びます。 時雨亭は、何と、ねねが大阪夏の陣が終わった後に大阪城の落城を、そこから見ていた場所なのです。このシーンは、NHK大河ドラマでも有って、感慨深いですね。 秀吉がお茶をこよなく愛し、しばしば茶会を催していたことから、高台寺では一年を通して、季節ごとにお茶会が開かれたそうです。 高台寺竹林 茶室から、寺院の出口への道筋には、大変に美しい竹林続いています。京都の繁華街も近い、喧騒がスグそこなのに、かくも幽玄な空間。秀吉没後の、ねねの菩提を弔って生きた日々に思いを馳せてしまいます。

高台寺竹林

茶室から、寺院の出口への道筋には、大変に美しい竹林続いています。京都の繁華街も近い、喧騒がスグそこなのに、かくも幽玄な空間。秀吉没後の、ねねの菩提を弔って生きた日々に思いを馳せてしまいます。

ねねの道

高台寺から、ねねの自寺である圓徳院へ走る道です。高台寺の西側にあって、石畳の道です。ここを通って、高台寺に毎日通ったから、ねねの道といつの間にか呼ばれました。ねねの道は、今っぽい電線が地中に埋め込められていて、着物姿の人・人力車が...で、いにしえの情緒ある京都が堪能できます。哲学の道と並んで、京都の歩きたい道ですね。

圓徳院

ねねの自寺になります。秀吉を回想しながら、晩年を過ごしました。この圓徳院も。秀吉と過ごした伏見城の化粧御殿や前庭を、移築しているんですよ。 伏見城で秀吉との充実した日々を思いながら、晩年を生きたのです。 

三面大黒天尊天

圓徳院に在る、三面大黒天尊天が安置されたお堂です。三面大黒天尊天は「大黒天・毘沙門天・弁財天」が合わさった神像で、出世・金・勝負が拝観料 高台寺は600円、圓徳院には500円の拝観料が必要です。 圓徳院・高台寺・掌美術館をすべて回るのであれば、高台寺三ヵ所共通拝観券の購入がお得です。なんと900円で、高台寺オリジナル絵はがきが、購入特典です。

まとめ

ねね、ゆかりの高台寺。素敵でしょう?秀吉とねねが、人生のピークを過ごした伏見城より多くの建材を移築して、秀吉に思いを馳せながら晩年を過ごした、日々が伝わってきます。 そんなねねの秀吉に対する想いが詰まった高台寺で、自身を見つめ直し、ねね、の生き方に学ぶ所もあるでしょう。 秀吉が、三面大黒天尊天を信仰して、天下人と成ったのです。 女子もキャリアを目指す時代に於いて、ご利益を授かれるでしょう。